大和天滿宮と命名した理由に就いて

全役員協議の結果、厚木海軍航空隊に奉齋しありし時は、厚木空神社でありしも敗戰に依り軍隊も消滅解散した現在、學問の神として知られる菅原道真公を祭神として「日本復興の道標にすべし」と滿場一致で決定、九州の太宰府より天滿宮を勸請し奉り、茲に「南大和天滿宮」と命名する。
宮司役員氏子と延々列をなし現在地(大和驛東方參百米)に奉祀したるもの也。
のち「大和天滿宮」と改名したるもの也。


昭和肆拾年伍月貮拾伍日



大和天満宮

〔平成参拾年貮月貮拾伍日 大和天滿宮 氏子総代会〕